
忙しさの中で忘れてしまっていたもの
毎日、目まぐるしく過ぎていく日々。
仕事に育児に家事に、やることが山積みで、気づけば「時間に追われてる」ことが普通になっていました。
でも、最近ふと思ったんです。
「あれ?これって、幸せなことなのか?」
よく「幸せって何だろう?」って考えます。
みんなが言う「大きな成功」とか、「豪華な旅行」とか、もちろん素晴らしいことだけど、
日々の忙しさの中で、ふと気づくんです。
本当に幸せって、実は目の前にある「何気ない日常」そのものだったんじゃないかって。
小さな瞬間に、幸せは溢れてる
例えば、朝起きたときに、
ママを見つけて子供が「あーあーあー!」ってニコニコしながら両手を振る瞬間。
それだけで、なんだか一日のスタートが嬉しくなるんですよね。
朝ごはんをみんなで囲んで、ちょっとだけ大きな声で「いただきます!」って言う。
その何気ない瞬間が、実はものすごく愛おしく感じます。
僕は、完璧な父親を目指して、仕事も家事も育児も「ちゃんとやらなきゃ!」って意気込んでいたけど、
その中で見逃していたのは、こうした「小さな瞬間」だったんです。
でも、今はその小さな瞬間こそが、何よりも大切だと感じています。
子供の成長を一緒に感じること
毎日が慌ただしく過ぎる中で、ふと立ち止まると、
「子供って、こんなに成長してるんだ!」って、びっくりすることがあります。
今、うちの子は言葉を覚えて、少しずつ会話ができるようになってきました。
最初は、ただ「ママ」「パパ」って言ってただけだったのに、
おもちゃを持ってきて「一緒に遊ぼう!」って言ってるようなジェスチャーをしたり
そんな成長を、何気ない日常の中で一緒に感じられること。
それが一番の幸せだなって、実感しています。
どんなに忙しくても、この瞬間を見逃さないことが大事だなって。
普通の毎日こそ、奇跡なんだ
僕は最近、「普通の毎日が、実は奇跡なんだ」って思うようになりました。
子供が元気に食べて、遊んで、寝る。
僕と妻も、何気なく笑いながら一緒に過ごす時間。
そんな日常が、何よりも尊いものだと感じるんです。
最初は、「もっと特別なことをしなきゃ」って思っていました。
でも、何度も言うように、その「特別」がなくても、
普通の日々こそが一番の宝物だと気づいたんですよね。
たとえば、家族で一緒に晩ごはんを食べるとき。
別に豪華な料理じゃなくても、おにぎりとみそ汁で十分幸せだったり。
ただ一緒にいるだけで、これ以上の幸せはないなって思います。
パパとして、成長していく
「完璧な父親」を目指していた頃は、仕事をしながらも常に焦っていた気がします。
でも、最近は自分の中で大きな変化がありました。
「完璧じゃなくていいんだ」と、ようやく自分を許せるようになったんです。
育児だって、完璧を求めすぎると息が詰まります。
失敗したっていいし、疲れたときは休んでもいい。
大事なのは、子供の笑顔を見逃さず、家族で笑い合う時間を大切にすることだなって。
完璧じゃないけど、毎日少しずつ成長していけること。それが、僕の幸せなんです。
今日もまた、何気ない幸せを
今日もまた、何気ない日常の中で、幸せを感じました。
妻と一緒に子供をお風呂に入れた後、寝かしつけの時に
「おやすみ!」と言って、子供が寝る準備をしているその一瞬。
その瞬間、僕はふと思いました。
「これが幸せだ」と。
大きな出来事や特別なことじゃなく、
ただ普通に過ぎていく一日が、最も貴重で愛おしいものなんだと感じるんです。
まとめ
忙しさに追われ、気づけば過ぎていく日々。でもその日々こそが、実は一番大切で、
一番の幸せだったということに、気づけた僕。
完璧を目指して走り続けることも大切だけど、
たまには立ち止まって、普通の毎日を大切にすることも、
何よりも大切なことだと感じています。
だから、もし今「もっと何か特別なことをしないと!」と思っているパパがいたら、
一度、今日の何気ない瞬間を振り返ってみてほしい。
「何もない日常こそが、一番の幸せ」
それに気づいたとき、きっと心が少し軽くなるはずです。
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